聚楽園大仏さん新聞切り抜きと       過去の資料から見る歩み


昭和58年代からの大仏さんに関する資料を
東海市荒尾町の 深谷 恒久さんから資料をお借りしました
昭和58年 6月10日知多ライフ新聞の
リレー随筆に 聚楽園の大仏様で投稿 
掲載されてから
色々な事が日を追って とんとん拍子に進行したように思うと 
深谷さんが言って見えました

資料をお借りして私なりにまとめて見ました 


昭和58年 6月10日

深谷 恒久さんが

知多ライフ リレー随筆に

投稿されて掲載された記事
昭和58年 6月24日の

中日新聞の記事

聚楽園の大仏さま

市文化財となりますか

大仏寺(普済寺伊藤住職)が指定申請

52年についで維持、補修が大変の見出しが・・・・
昭和58年11月22日

東海市教育委員会指定

聚楽園の大仏と境内地

6年ぶり文化財に指定
昭和58年12月10日

聚楽園の大仏寺境内

「市民公園」認定も

東海市

市内19番目の「市民公園」に認定される大仏寺境内
昭和59年月10月 9日

建立以来の化粧直し

東海市聚楽園の大仏さま

建立以来57年ぶりの化粧直し

修復奉賛会設立

地元企業や一般市民から

2852万円もの浄財が集まり

大仏さまと仁王像2体修復

約2200万円かかった
昭和60年

修復後の大仏さま
昭和60年 6月 1日

修復落慶開眼法要の案内状

一部省略
昭和60年 6月 1日

大仏さま真前で行われた

修復落慶開眼法要

法要祭主は

普済寺伊藤住職
修復落慶開眼法要

御詠歌を先頭に稚児行列参加された皆さん


名鉄電車

聚楽園駅前は大きな池でした

現在はロータリーと駐輪場になつています
稚児行列の皆さんと弘法大師像
弘法大師像


現在はない

(平成2年に老朽化で解体された)

跡地が現在は弘法の丘で残っている
修復落慶開眼法要で

大仏さんの胎内に飾り付けられた

いく本かの掛け軸

弘法大師の掛け軸も・・・・
修復落慶開眼法要

翌日の新聞記事

昭和60年 6月 2日

化粧直し 大仏すっきり

開眼法要に3000人

東海の聚楽園 祝いの稚児行列も

人、人で埋まった聚楽園大仏の開眼法要
東海市指定文化財

名勝 聚楽園大仏修復記念パンフレット
内容は

大仏各部の大きさなどがしるされている
局舎新築記念

大仏さんが

昭和61年 8月 7日落成

8月11日開局

東海北郵便局のパンフレット
内容は

ご覧の風景入り日付印などが・・・・
東海北の消印が

それから

東海市の木
「くすのき」

昭和45年11月 3日設定

東海市の花
「さつき」

昭和45年11月 3日設定などがしるされていた

東海さつき山野草会は

昭和46年に設立された年に 私も会員になり現在に至っています

私の作品覗いて見て下さい

私のウエブ個展表紙へ

農業共済だより

61.第3号

聚楽園の大仏の記事も掲載されていた
知多の概要

愛知県知多事務所の小冊子の表紙に大仏さんが

現在は木々が大きく成長して

この景色は見る事が出来ない

弘法の丘から大仏さん登り階段に通ずる通路かな・・・・
平成16年 8月 4日

中日新聞社
ヘリ「わかづる」から

わがまち空景

東海市聚楽園大仏

緑の中どっしりと立つ聚楽園大仏

後方は愛知製鋼
東海市

聚楽園公園の丘に

かつて立っていた料理旅館

聚楽園

現在は東海市の嚶鳴庵の

茶室が有る



聚楽園大仏さん建立者 山田 才吉翁資料へ
平成22年10月30日

あいち賢人

山田 才吉(1852〜1937)

夢を追い続けた名物男

山田 才吉が建立した聚楽園大仏さんの写真も・・・・
大仏さんから名鉄電車聚楽園駅を撮る

今は走っていない名鉄パノラマカーが・・・・

駅前には大きな池が

私が子供の頃から

池の中に杭を打ちその上に家を建て

4軒ないし5軒の飲食店が並んでいた

当時を思い出す写真です

現在はロータリーと駐輪場になっている

今は無い弘法大師像

平成2年に老朽化により解体されました

跡地が現在弘法の丘で残っている
昭和の時代の大仏さんと弘法大師像
平成の時代の大仏さん

大仏さん左側には

名古屋駅周辺のビル群が・・・・

アピタ屋上から撮る



平成26年12月26日更新


追記

今年は平成26年2014年

昭和89年になります

大仏さんも88歳に?・・・・

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