聚楽園 大仏建立者     山田 才吉翁資料へ


8月 私の行き付けの散髪屋 美容「クラフト」へ行った時に
山田 才吉翁(名古屋の実業家)資料を 見せて下さいました
よかったら コピー取ってもいいよと言われ 早々取らせて頂いた
ホームページの公開も
東海市名和町在住の 加藤 武弘様から 快く返事を頂きました
加藤様の資料の写真と 私の手持ちの写真と合わせて 掲載させて頂きました


山田 才吉翁資料№1表紙

上の図
明治14年 漬物製造 喜多福を創業

下の図
明治30年 東陽館を開業(名古屋前津小林)
木造2階建、御殿風の桧皮葺

娯楽施設を備えた名古屋の代表的貸席・料理宴会場(2階に396畳の大広間)

明治36年焼失 その後、規模を縮小し再建
山田 才吉翁資料№1拡大

嘉永5年 8月
山田 才吉翁
岐阜市大仏町に生まれる
山田 才吉翁資料№2

上2枚
明治43年 名古屋教育水族館を開業(名古屋東築地)

左地図
明治43年 熱田電気軌道を開業(名古屋東築地)
・熱田神戸橋→東築地(熱田伝馬町→南陽館に延長)
・大正 8年 名古屋電気鉄道(現名古屋鉄道)に合併
山田 才吉翁資料№3

東陽館(名古屋東築地)
・木造の高層建築(5層約23.4メイトル)
・山田式料理運搬エレベータ 各部屋に電話設置
・大正元年 台風により倒壊(完成直前)

上から2枚目と3枚目
南陽館(名古屋東築地)
・3階建て
・大正元年の台風後に再建

上から4枚目
大正4年聚楽園を建設(愛知県東海市)
・伊勢外宮前の雲丹館を移設
山田 才吉翁資料№3
一番下の写真を拡大して見ました

私 子供の頃 この近辺が遊び場だったせいか 脳裏に聚楽園旅館だった この写真の風景 残っています

池は現在も有る
ヤカン池
現在のヤカン池から見た
聚楽園旅館が 有った丘陵地

現在は東海市立の 茶席 嚶鳴庵が建てられている
山田 才吉翁資料№4

昭和元年 北陽館を建設(岐阜県可児郡上田)
・ライン遊園を開設
・日本ライン下りを再開
・名古屋鉄道バス路線の第1号(ライン遊園(名鉄駅)→(北陽館の間)

北陽館・日本ライン下り 吉田初三郎画


日本ライン下り
写真2枚
山田 才吉翁資料№4

真ん中の絵 吉田初三郎画の絵を拡大して見ました

昭和元年 北陽館を建設(岐阜県可児郡上田)
現在の犬山遊園駅から 見た

木曽川鉄橋を渡る
名鉄電車 ミュースカイ

中部国際空港行き特急電車

大正13年(山田才吉氏72歳)

北陽館を開業(岐阜県可児市土田)

・ライン遊園地を開設
・日本ライン下りを再開
・名古屋鉄道バス路線の第1号(名鉄ライン遊園地⇒北陽館の間)
山田 才吉翁資料№5

昭和2年聚楽園大仏の開眼供養(愛知県東海市)

・摂政殿下(昭和天皇)の御成婚記念
・人造石の化身
・胎内仏に由諸ある観世音菩薩像(後桜町天皇の念持仏)
・胎内に本朝の十三宗の御祖師像を祀る
・御台座に国家鎮護のための一切経の写経石
・身長18.788㍍ 台座の高さ2.576㍍ 台座の直径23.630㍍ 重量約1,800トン 
大仏の高さ 奈良14.98㍍ 鎌倉11.35㍍ 岐阜13,63㍍

昭和 8年寿像と頌徳碑の建立(現在山田才吉翁の立像はない)
昭和2年(今から約85年前)聚楽園大仏の開眼供養当時の写真
平成24年 4月 8日撮った写真
昭和2年(今から約85年前)聚楽園大仏の開眼供養当時の写真

大勢の方々が参拝されています
平成24年 4月 8日撮った写真

大仏開眼から80数年
風雨にさらされて来たのに

この様な姿で見られるのも

大正時代の職人さんの 技術のすごさを感じますねぇ・・・・
重機もない時代に この巨大な大仏様を よく作ったものだと感心します

大仏様のお顔もいつ見てもあきませんねぇ・・・・


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大仏さん右側後方に
大仏建立者
山田 才吉翁壽像の碑が有った
壽像の碑の横に
山田 才吉翁頌徳碑も建てられていた
山田 才吉翁資料№6

山田才吉翁
昭和12年 1月永眠

黄檗宗 稫壽山大龍寺

山田才吉翁が眠る墓

山田才吉翁座像

 
加藤様より 資料お借りしました


平成25年(2013年) 9月 2日更新

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